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☆東京女子プロレス+plus☆デビューを控えるのどかおねえさんインタビュー「みんなに夢を与えられるプロレスラーになりたい」

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    • 東京女子プロレス1・4後楽園ホール大会で新人3名がデビュー。今回はのどかおねえさんをピックアップ。ミュージカル劇団や芸能プロダクション養成所を経てDDTプロレス教室へと行き着いた彼女は、どのような想いで東京女子プロレスの門を叩いたのか。(取材・東京女子プロレス取材班)

      ――プロレスを好きになったきっかけは?
      「一番最初は小学生の頃、小林まこと先生の『1・2の三四郎』という漫画を読んで興味を持ちました。父親が好きで持ってたんです」
      ――それからプロレスを見るようになった。
      「いえ。その頃はまだテレビで年末にやっていた総合格闘技を見るくらいでした」
      ――岡山出身ということですが、ずっと地元で育った?
      「高校まで地元で、大学は関西大学でした。でも途中でやりたいことをやろうって思って、中退したんです」
      ――やりたいことというのは?
      「お芝居や音楽をやることですね。子供の頃から家族で劇団四季とかファミリーミュージカルを観にいってました。自分でもやりたいと思って、小学生の時に父親と一緒に地元のミュージカル劇団に入りました」
      ――それはずっと続けたんですか。
      「はい、小学生から高校生まで。ただ高校のときは部活も演劇部で部長になって全国大会で賞をもらったり、ほかに生徒会長にもなったりして、忙しくて劇団は少しお休みしてました。大学も一芸みたいな感じで入ったんですけど、それも高校のときの演劇の実績を認めてもらいたくて入ったみたいなところがあって。それで結局、大学はやめちゃいました」
      ――大学をやめてからはどうしたんですか。
      「地元に帰って…。でも正直、やる気が起きなくて、その頃は何もしてなかったです。それを見た父親に劇団を手伝いに来いって言われて。父親はずっと劇団を続けていたんですけど、そこでもぎりとか、裏方の仕事を手伝ったんです。でもその時、自分が舞台に立ってないということがすごくつまらなく感じたんですね。もう一度、自分も舞台に立ちたい、観ている人を私が笑顔にしたいって思って」
      ――それでまた劇団に入ったんですか?
      「はい。でもそれを仕事にしようとしたら、やっぱり東京にいかなくちゃいけないって。地元で劇団をやっていてもお金にはならないし。だから東京の芸能プロダクション養成所に入ることにしました。妹が東京の大学に入学するのをきっかけに上京するんですけど、それまでは月2回、夜行バスで岡山から東京に通ってました」
      ――プロレスを見るようになったのはいつ頃になるのでしょうか。
      「ちょうど上京した頃ですね。ニコ生でDDTを見て興味が沸いて、実際に後楽園ホールに観戦にいくようになりました。もともと『1・2の三四郎』でプロレスを知ったので、DDTを見た時に『あ、私が知ってるプロレスだ。これが私の好きなプロレスだ』って思ったんです。社長は三四郎だし、ドリームチームだし(笑)」
      ――プロレスをやろうと思ったのは?
      「DDTでプロレス教室が始まって、通い始めました。最初は体を動かしたいくらいの気持ちで始めたんですが、やっているうちに自分もプロとしてやってみたいという気持ちになって、東京女子プロレスの練習生募集に応募しました。プロレスって見ている人に夢を与える仕事で、私もずっとDDTに夢や元気をもらったので、今度は自分がみんなに夢を与えられるようなプロレスラーになりたいと思います」
      ――最後にメッセージを。
      「今までずっとやってきたお芝居やミュージカルの経験を、リングという舞台でぶつけたいと思います! 応援よろしくお願いします」

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